放心、傷心、動物園 (2001年9月14日)

9月13日(木)

 昨日の必修マクロで全てのテストが終了したので、近経グループにて打ち上げの飲み会を開いた。テストの後味は全般的にあんまり良くない感じがするけど、終わってしまったことは仕方がない。もう努力が出来ない状況って、ある意味では幸せなのかもしれない。「テストの話は、なし」ってことで、とりあえず皆で打ち上げにて騒ぐ。

 何を騒いだのかはあんまり覚えていない。ただ進路、社会といった真面目系の話は酒が入っていてもはっきりと記憶に残っている。進路って意味で大雑把に分けると就職か進学かってことになるのだけど、どちらを目指すべきなのかすら自分自身の中で揺らいでいる。経済学は、難しくてしんどいこともあるけど、まぁまぁ面白くて、やりがいもある。好きか?嫌いか?というと6oくらい好きの方が勝つのだけど、だからって研究職志望に直結するものでもないと思う。6oのためにこの先、金と時間をかけて、30歳手前までまともな収入がなくても自信を持ってやりたいか?って自問すると、そこまでの強い意志はないし、自分の能力に対しての自信もない。
 ぼちぼち経済学の勉強をしてきたから多少なりともそれを生かす仕事を考えなきゃ、親や先生や社会が僕にしてくれた恩に報いることができない気もする。だから経済学を生かしたいとは思っても、研究職以外で直接生かせる仕事は、ほとんどない。それに『役に立ってなんぼ』をせっかちに考える自分がいる。象牙の塔よりは現場に近い所にいたいとも思う。バイトやサークルやゼミの経験から考えても、どの仕事でも、しんどいことと同時に楽しいことも充実感がある。どの仕事でも6oくらいは愛せそうな気もする。
 大学進学するときも、修士進学するときにも、僕は学問自体に対して強い意欲があったわけではなかったから進学すべき人間ではないなぁ、とか思い悩んだ。この7、8年あまり成長していないとも思う。多分「こっちに決めた!」って今、言っても、その程度のものなら一週間で変わるものなのだろうと思うし、やはり経験則から言えば、どっちに決めたとしても後から悔やむことはないように思う。阪大時代に、跡田先生に「よく考えると、僕って大学院に行くべき人間ではないですよね?」と話すと、笑いながら「よく考えるな。」と言われたが、それは真理なのかもしれない。
 多分、決めなきゃいけない時期が来て、半ば無理に決めることになるように思う。半年後のノリで直感的に面白そうだと思える人生に決めるのだろう。でも、このままのノリで行ったら就職しそうに思う。そんなことを考えたり、話したりして13日の晩はふけていった。さすがに泊まる気にはなれず、終電に乗って帰る。

 今更、テストのことを思い出しても点数が変わるわけではないけど、思い出してしまうのが人の性というもの。最終電車でぼーっと立ったまま、マクロのテストを酔った頭で思い出していると、これ以上なくシンプルなハミルトニアンで、これ以上なくしょぼいミスをしていたことに気がつく。思わず

「あっ」

と言ってしまい、周りから一瞬注目を浴びる。しかも大問の初めで致命的で、部分点をもらえても10点は損している。その問題で時間を浪費したため、ラストの問題も走り書いたから、二次災害を入れると、しょぼい勘違いから計20点は損をしているかもしれない(よし就職だ!)。 マクロは全般的に学生に点数取って欲しそうな問題で、素点としてはもっと心配なテストもある。でも難しい問題を解けなかったらまだしも、簡単な問題をしょぼい勘違いでミスっているとかなりヘコむ。一生懸命教えてくれて、良心的な問題を作ってくれた先生に講義内容を一通り理解していることを表現できなかったのは残念に思う。

9月14日(金)

 ヘコんでいるとなかなか眠れないもので、午前1時に寝たが朝6時に起きてしまう。とりあえず特にすることもなく、昨日のヘコみを思い出して、放心×傷心状態。部屋にいても気が滅入るだけなので東京で回っていないところをいろいろ考えて上野動物園に行くことに決めた。東大から上野動物園まで自転車で15分くらいだった。
 入口からすぐの所にジャイアントパンダ館があった。幼稚園児に混じってジパンダャイアントパンダのリンリン(♂)の檻の前で、20分くらいたたずむ。彼は僕の方を見ながら、悠然とユーカリを食べ続けてた。心の中で彼に問いかける。

(リンリン!僕はまた。僕はまた間違いを犯してしまったよ!)

リンリンは相変わらず、ユーカリを食べている。

(リンリン!僕はこれからどうやって生きていけばいいんだ!)

リンリンはユーカリを放して、檻の奥で横になってしまった。

(リンリン兄さん・・・・・。)

リンリン兄さんは最後まで何も答えてくれなかったが、これはきっと、リンリン兄さんが大事なことは、自分で決めろ!と教えてくれているに違いない。

(そうだよね、ありがとう。リンリン兄さん)

と思い、そのパンダの自立の精神を胸にパンダ館を去る。

増 続いて、パンダ館から近い象の檻の前に行く。上野動物園の象と言えば、童話「かわいそうなぞう」でも有名な戦時中に殺されてしまった悲しいお話がある。(ドラえもんの「ぞうとおじさん」のお話の中では、ハナ夫は助けられた。)檻の前に象の名前が書いてあったが3頭いたので、誰が誰だか分かんない。それでも、しばらくの間ぼーっと象を見ていた。象はなんと言ってもその長くて器用な鼻が特徴で、その次に挙げられるのは耳が大きいってことだけど、今回気が付いたのは象の瞳はとっても優しいなぁってことだ。檻の手前の方に寄って来たので、その優しい癒し系の瞳をずーっと見ていた。眺めていると

ぼふっ

って音がして、何かが落ちた。「で、でけぇ。」それはサッカーボールの大きさくらいありそうな、巨大な象の糞だ。横にいた幼稚園児は、そのあまりの大きさに泣き出した。看板の説明書きを見ると『象は一日に80sくらいの糞をします。』と書いてある。すげぇー、大の男1人分を1日に排出するのか。そして象は最後にその優しい瞳で僕を見た後、雄大なる糞を残して、檻の奥の方へ下がっていった。きっと象さんが教えたかったことは

「お前の悩みなんて、私のサッカーボール大の糞に比べれば、ごま粒みたいなものだ。人の子よ、強く生きなさい。」

ということに違いない。その象の雄大なる教えを胸に象の檻を去る。

 その後もたくさんの動物さんから、たくさんの教えを頂いた。帰る途中に国立西洋美術館の前で、ロダンの『考える人』を見て、横の小学生?と共に同じポーズをとってみたり、『地獄の門』の前でたたずんでみたりする。やっぱり人は考える葦だなと思ったり、考えるから葦なのかなとも思ったりする。でもそれで良いし、そうでしか在り得ないのだなと思いながら家路についた。