懸賞論文、霧霜会、編入飲み、ゼミ旅行 (2001年2月20日)

 2月9日にテストも終了し(←卒業単位は3回生でそろっているのだけど)、大阪大学ですべきことも、そろそろなくなってきました。9日には懸賞論文の発表があり、大丈夫かな?と思っていた教育の経済分析も、どうにか優秀賞を受賞することができました。去年は3回生で最優秀賞なんて取ってしまったもんだから、受賞なしだったらヤバいなぁとか思っていました。今回の論文は自分自身、詰めが甘いと思っていたので、受賞そのものを心配していたのですが、とれて良かったって感じです。それでも跡田先生には「齋藤は、最優秀賞から優秀賞に落ちたなぁ。」って皮肉られました(^_^;) 今年は最優秀賞が該当作品なしで入賞論文、5本中3本が本間・跡田ゼミでした。賞がとれた人もとれなかった人もお疲れさまです。【大阪大学 経済学部 懸賞論文】

 2月10日には、本間ゼミ第一期から集まる霧霜会に出席しました。(←霧が噴いても、霜が降っても忘れることなく集まろうっていう所から霧霜会と命名されたそうです。)去年のこの時期には、大学院進学をするか、就職するかを迷っていて、自己紹介時もそういう風に言ったのですが、去年の今頃は他大学に移るなんて考えていませんでした。人生どこで変わるか分かりません。東京大学大学院も願書締め切り一週間前に受験を決め、思いつきで僕の人生が転がっているように思えます。しかし特に最近、自分は大学院に進学すべき人間ではないと、思っているのですが、引き返すことはできません。覆水盆に返らないのも人生です。

 2月13日、14日の晩には既に下宿を引き払った中村氏が、15日の懸賞論文授賞式前に泊めてくれってことで僕の下宿に泊まりに来ました。両日とも夜の9時頃には面白いエピソードがありますが、まだ現在進行中なので全て終わってから書けたらいいと思います。また彼の論文班は優秀賞を受賞したのですが、中村氏曰く「ホームページに載せるほどの論文ではない。」と、一度ホームページに載せたにもかかわらず、掲載をやめてしまいました。しかし齋藤の手元には、印刷時に使った医療論文のWordファイルがあって、これをPDFにして新管理人の下野君に渡して再び掲載します(無断です)。ちなみに一カ所誤字があったので訂正しておきました。医療論文、ゼミホームページで近日再公開です。

 2月15日には、懸賞論文の授賞式がありました。去年の授賞式では『転換期の住宅金融公庫』を初め、各論文の良い点、悪い点が指摘されて、今回はこれからの論文訂正時に参考になることが聞けたらいいなぁと思っていたのですが、今年は個別の講評はありませんでした。でも山田先生のキャラが出ていて面白かったです。

 2月17日には、京大の高専出身者が中心となっている編入飲み会に阪大編入生計5名で梅田へ行きました。阪大経済編入生の現三回には、ゆっくりと食べるにもかかわらず、食べる総量は男性の約2倍という女性がいるのですが、彼女と張り合えるほどの女性がいて、その2人のテーブルだけは食材がなくなっていました。竜虎相搏つって感じでした。 

 2月18日、19日にはゼミ旅行でした。これで本間・跡田ゼミで行く旅行も最後だったのですが、本間先生は経済財政諮問会議のため来れなくなってしまい、財布だけ参加しました(本間研には、本家赤福をお土産に持っていきました)。今回は伊勢に行くことになって、僕が乗せてもらった岡carも松阪牛にありつくべく跡田carを追ったのだけど、途中でパトcarと併走することになりスピードが出せず、跡田carに乗った姉さん達だけが、手前の松阪で降りて1万円相当の松阪牛にタダでありついたらしいです。晩はクレープを焼いたり宴会をしていたのだけど、僕はいつでも早寝早起きなので、途中で切り上げて1時頃に就寝しました。しかし平山ゼミでも、本間・跡田ゼミでも面白いことは深夜の3時4時に話されるらしく、濃い話をしていたらしいです。昼寝しないとダメですね。

 こういう風に1日の出来事を数行で書いていけば、頻繁に更新できそうです。でも多分、続かないでしょう。自分の意志の弱さに驚愕する今日この頃です。