繰り返しになりますが、2003年7月31日付けで経済産業研究所⇒経済産業省 産業政策局 調査課のバイトが終了しました。その最終日、ありがたいことに月の雫(銀座インズ店)で送別会を開いていただきました<(_ _)>。僕の場合、呼ばれたら、大体は数時間以内に行けるし、まだ自分宿題があるので、8月中に一回は調査課に行きそうです。また、身分はバイトなので送別会してもらうほどでもない気もしますが、とりあえず区切りってことで内輪で飲み会を開いていただきました<(_
_)>。
田舎者の学生としては、銀座というだけで遠くて華やかなイメージがあります。月の雫(銀座インズ店)は、豆腐の有名な和食の店です。内装もきれいにライトアップされていて、料理も食べたことないものが多く、おいしかった。学生がよく行く加賀屋やチムニーとは全く違う雰囲気です(いや牧さん。チムニーには、チムニーの良さがあるってことで。)
・・・・思い出したくないけど、先に書けば気が楽になるかもしれません。
考えてみるとサークル、バイト、ゼミ、編入組、インゼミ、大学院生と泥酔するほど飲む集まりってありませんでした。あるいは泥酔する小グループからは距離をとっていました。学生のイメージからすると、社会人ってもっと落ち着いていて、
と渋く、お酒をたしなんでいるイメージがあったけど、幻想でした。サンプリングに問題がある気もするけど30代以上でも深酒したり、大騒ぎする人はそんなに珍しくないみたいです。
建前上、僕の送別会ということで、僕自身は普段の飲み会以上に飲まされるだろうなぁと思っていました。1対6以上になることが分かっていたので、事前に酔い止めを飲んでおこうと探してみました。しかし課の冷蔵庫を開いても、しばらく置いてあった沖縄土産の『うこんドリンク』は既にありませんでした。バイトとはいえ、最終日の午後には課の皆さんに挨拶しないといけません。7月の初めに調査課長の異動があったので、課長とまともにお話しするのは初めてになります。課長からすれば、配置図には氏名が書いてないし『たまにいるけど、一体あいつは何者なんだ?』と思われていたと思います。「実は、僕はこういう者で・・・」と自己紹介をした後に、「今日が一年間の契約期限の最終日なんです。」と最後の挨拶をする。その最後の挨拶のタイミングが分からずにいるうちに、酔い止めの薬を買いそびれて出発時間になってしまった。そうして無防備で送別会に挑むことになりました。
7月31日の18時45分くらいに調査課を出て、幹事の清水通さん(めちゃめちゃいい人)を含めて初めから月の雫(銀座インズ店)に一緒に行ったのは5人でした。とりあえずビールということで生ビールを頼むと、『生ビールよりもピッチャーの方が店として助かる』みたいなことを店員さんから言われて、ピッチャーで持ってきてもらうことになりました。あとあと考えれば、これが大きな分かれ目だったと思います。生ビールだと空になる度に店員さんに持ってきてもらうので一度空になっても3分くらいは肝臓を休めることができます。しかしピッチャーだと間髪入れずに、どんどん注がれることになります。料理が来るのが遅かったので、先付しか食べてない位の状態で5人と杯を交わしました。それだけでも大きめのコップに3杯で1リットルぐらいのビールを飲んでしまいました。
勢い良く飲んでいるときは大丈夫なのだけど、後からじわじわ効いてくるのが酒の恐ろしいところです。しばらくは課のこと、仕事のことを普通に話しながら飲み食いしていた。公務員一年生の仕事の愚痴を聞いたり、清水通さん(めちゃめちゃいい人)の結婚観、人生観を聞きました。しかしそのうち自分でも、おかしな精神状態だなぁと感じてきます。この段階でストップすれば問題ないのですが、おかしな状態だからこそ、さらに盛り上がってさらに飲むという(悪)循環をたどります。
この段階で途中参加の2人を加え、合計8人になりました。始まって一時間も経つと周囲の飲む勢いも衰えます。しかし途中参加の人がいると、再びトップスピードに戻されます。酒が味もなく水のように思えてきて勧められれば、ほぼ自動的に飲んでいました。そのうちに自分の精神状態がおかしいという自覚がなくなってきます。思ったこと、面白そうなことを、頭でまとめる前に口に出すようになる<(_ _)>。酒の席は『賢者は聞き、愚者は語る。』という言葉が、分かりやすく当てはまる場所だと思います。あの場での僕は、愚者の極みでした。この段階に至ると、もう末路は見えてきます。
月の雫(銀座インズ店)を出て、二次会のカラオケボックスに向かいました。泥酔していて、まっすぐ歩くことが難しかった。記憶がぼやけていて、どういう道順をたどってカラオケボックスに行ったかをはっきりと思い出すことができません。これまで酒を飲んで記憶をなくすという現象を信じることができませんでした。しかしあの記憶のぼやけ&断片化を進めると記憶をなくせそうに思います。カラオケボックスに行く途中で、気分の良さが、気分の悪さに変わっていくのを感じました。カラオケボックスに着くと、ソファーに座ってとりあえず気分の悪さをしのごうとしました。
後は、時間の問題・・・
この辺りは凄惨なので、細かな描写はしないでおきましょう。カラオケボックスのトイレで介抱されながら、けっこう吐きました。酒に酔って吐くという気分を初めて理解しました。通常の吐き気と違うところは、一度吐いても楽にならないところです。その後、タクシーで清水通さん(めちゃめちゃいい人)の家に連れて行ってもらいました。道中は完全に寝ていました。
清水通さん(めちゃめちゃいい人)と清水通さんの奥さん(めちゃめちゃいい人)に、詫びと礼を言いながら、寝かせてもらいました。しかし泥酔していると気持ちよく寝ることもできず、午前4時辺りに目が覚めて、不必要に気持ち悪さを満喫しました。
朝の7時になると、早めに出勤する奥さんのために2人が起きたので、再び詫びと礼を言いました。この後めざましテレビを見ながら冷茶をいただきました。清水通さん(めちゃめちゃいい人)は朝の連ドラ『こころ』を見ているらしく、解説を少ししてくれました。その後、8時45分くらいに清水通さん(めちゃめちゃいい人)の出勤に伴って、帰りました。
清水通さん夫妻(めちゃめちゃいい人)を初め、7月31日の送別会に参加された方々
酒に潰れるということを、24歳にして初めて体験しました。この先、今回ほど深酒することはなさそうなので、ここで体験しなければ生涯なかったかもしれません。しかし酒に潰れた体験がなければ、道ばたで苦しんでいるお兄さんやおじさんたちを避けてしまいます。いざって時に温かい目を向けて、介抱することができません。そう考えれば今回、酒に潰れたのも良かったのではないかと思います。それでも、生涯最後にするつもりです。
ぼやけた記憶が確かならば、僕が泥酔していても、皆さんさほど引いておらず、楽しんでいました。送別会に来てくれた人が、面白ければそれで良いのかなと思います。この前の送別会でも送られる人は潰されていました。結局、送られる人は『潰れて、なんぼ』かもしれません。