初ヨーロッパ、初スウェーデン (2004年10月3日)

 もう10月になってしまいました。最近年をとったせいか、時間が経つのが速く感じます。夏はけっこういろいろあったのですが、やはり一番大きかったのは、

「初ヨーロッパ、初スウェーデン」

でした。もう一ヶ月以上経っちゃいましたが、8月23日〜28日まで、スウェーデンに行ってきました。東京大学には、国際的な存在感を持たせよう、博士課程の大学院生に国際的な経験をさせて、もっとがんばってもらおうというUTフォーラムという催しがあります。2004年のUTフォーラムはスウェーデンで開催され、東京大学の基礎科学、医学、環境学、経済学の4つの部門が、スウェーデンの名門大学との交流を持ちました。僕は、そのUTフォーラム2004に応募して7名の経済学研究科の大学院生の一人として、Stockholm School of Economics(SSE)へ行ってきました。

 スウェーデンへ行くまでも、宿を変更するか検討したり、航空券がギリギリだったり、スケジュールがよく分からなかったりといろいろあったのですが、ちゃんと書くとすごく長くなるので、はしょって書きます。何はともあれ日本時間8月23日の10時25分の成田発の便に乗り込み、アムステルダムを経由してストックホルム時間18時30分(体感時間 深夜2時30分)にスウェーデンに着きました。アーランダ空港からワゴンタイプのタクシーに乗り込み、宿となるホステルのHostel Mitt i Cityまで行きました。
 宿に到着してからも、(手で扉を閉めるタイプの)エレベーターが10分待っても降りてこなかったり、イギリス経由での便で移動していた先輩が、飛行機が飛ばずに来れなかったり、荷物が届かなかったりといろいろトラブルがありました。体感時間は早朝4時くらいでしたが、せっかくスウェーデンに来たので、夜のストックホルムを1時間程度散歩しました。夜の9時でも、まだ空は青かったです。ちなみにスウェーデンの公用語はスウェーデン語ですが、9割ぐらいの人は英語も流暢にしゃべります。店員さんも含めて20人ぐらいの方としゃべりましたが、英語を話せずに他の方を呼んできたのは一人だけでした。

 24日は夕方のレセプションまで自由行動でした。朝食後、グループでの集合時間まで間があったので、一人でぶらぶらと宿の周辺を歩いてみました。自由行動日和で、本当に良い天気でした。ストックホルムにはたくさんのセブンイレブンがあります。しかし、コンビニというよりも食品雑貨屋に近い雰囲気です。日本で言うところのミニストップ型になっており、中で座って軽食やお菓子をを食べたりできます。

朝のストックホルム(1)朝のストックホルム(2)ストックホルムのセブンイレブン

午前中には、経済学研究科の院生一行で、ノーベル賞の晩餐会等が開かれるストックホルム市庁舎へと行きました。(青くない)青の間や金の間などを見学しました。中世ヨーロッパっていう感じがしました。

市庁舎の中庭より市庁舎の河原橋の上から市庁舎

ガムラスタン(旧市街)の方へ行って昼食を食べた後、ノーベル博物館を見て回りました。このノーベル博物館で、食べるも良し、ネタとして飾るも良しのノーベル賞チョコレートをお土産用に買いました。

多分、ドイツ教会ノーベル博物館ノーベル賞チョコレート

その後、いったん宿に帰ってレセプションのために正装に着替えました。レセプションにはスウェーデンの文科大臣のThomas Ostros氏(Oの上にはウムラウトが付きます)や在スウェーデン大使、佐々木総長も出席されるので、さすがにGパンで行くわけにはいかず、スーツ、ネクタイ、革靴に着替えて、レセプション会場のヒルトンホテルへと向かいました。
 レセプション開始前になるべく目立たないように会場の隅っこの方に経済の院生で固まっていると、先生から呼ばれて大臣に挨拶をすることになりました。大臣は経済学部出身なので、特別に計らって頂いたようです。大臣と握手をして、専門とか関心の話をしました。大臣に挨拶するとは思っていなかったので、迂闊にも「教育を経済学の視点で分析するということに関心があります。」みたいなことを言ってしまうと、「労働や教育は経済学でも複雑な分野ですね。データのavailabilityの問題もあるし、データがあってもcausalityの判別は大変ですね。日本でのデータや分析はどうなっているのですか?」みたいなことを聞かれました。経済学の専門用語にも精通しておられ、さすが大臣になる人は別格だなぁと感心しました。スウェーデンの将来の首相候補だそうです。
 そのレセプションで欧州日本研究所の所長であり、SSEのコーディネイターでもあるMagnus Blomstrom氏(最後のoの上にウムラウトが付きます)に挨拶しました。Presidentという肩書きを忘れさせるぐらい愉快で親切な方でした。レセプション終了後、Blomstrom氏に連れられ、二次会、三次会へ行きましたが、睡眠不足&Aquavit(スウェーデンの芋焼酎みたいなもの)でかなり眠かったです。

 25日には教官セッションがあり、その合間である昼食時および夕食時にはSSEの大学院生と交流を持ちました。特に夜はお酒の勢いもあり、いろいろなことを楽しく話しました。日本人の院生同士で話してもそうですが、経済学や研究については分野が違うと盛り上がらないし、相手のレベルも分かりません。経済学や専門に関して少し紹介した程度で、後はレセプションの感想、院生就職事情、身の上話など世間話をしていました。

 最後の自由行動日であった27日には、後輩の友人のスウェーデン人(日本語ペラペラ)のSimonさん(名字は聞き忘れた)に案内してもらうことになりました。Simonさんは日本アニメに造詣が深く、スウェーデン語版のドラゴンボールやワンピースの翻訳を仕事にしています。ストックホルムにある大きい本屋なら、彼が訳したコミックスが、ほぼおいてあります。日本の漫画やアニメはスウェーデンでもかなり人気があるようです。実は、何気にものすごく国際貢献しているのではないでしょうか。
 Simonさんの案内で、スウェーデンの昔風の街並みと動物園が合体したような屋外博物館のスカンセンへ行きました。ヘラジカとかオオカミとか、日本ではなかなか見ることができない動物もいました。

スカンセンの道スカンセン内の建築物ヘラジカオオカミ

 その後、1628年に沈んでから333年間海底にあった巨大船ヴァーサー号を飾ったヴァーサ号博物館へと行きました。船首から船首までが69メートル、船の重さは1200トンもあり、「でけーっ」って感じでした。400年近く前の人がこんなでかいものを作ったなんて「すげぇー」って思いました。船の説明は、スウェーデン語、英語、ドイツ語等で書かれていました。、翻訳者のSimonさんは今ワンピースを訳している最中で、「船体のいろんな単語を勉強しなきゃいけない。」と言っていました。ちなみに竜骨は英語でkeel、スウェーデン語でkol(oの上にウムラウト)らしいです。

 その後、日本漫画、アニメのプロであるSimonさんの計らいで、スウェーデンのアニメおたくの集まりに行きました。(そのうちの一人の誕生日パーティだったらしい。)晩餐に加わる際に、Simonさんは「彼らの日本アニメの知識は、スウェーデンで最高レベルです。」とスウェーデン最高峰のアニメおたくを7人くらい紹介してくれました。聞くところによると日本からアメリカに渡るアニメの10%くらいはスウェーデンにも来ますが、それでも情報量はかなり少ないそうです。僕は日本人の中でも、かなり漫画も読んでた方だと思うし、(高校以前であれば)アニメもけっこう見ている。『いくらスウェーデン最高レベルと言っても、地の利はこちらにある。同じレベルには話ができるだろう。』と高を括っていました。

北斗の拳の話になった時に、
「今日本だと、北斗の拳のリニューアル版を連載しているんですよ。」と話すと、
「Ja, コミックバンチ、蒼天の拳。」
と、何を当たり前な風に返されました。日本のアニメおたくには常識問題ですが、スウェーデンでもすぐに返しが来るとは思いませんでした。

「日本のアニメの中で何が一番好きですか?」と尋ねると、
「一つに決めるのは難しいが、やはりセーラームーンでしょう。」
と真顔で返ってきました。僕とは分野がまるで違う方のようです。経済学でも、アニメでも分野が全然違うと
「へぇ、そうなんですか。良いですね。」程度の返ししかできません。セーラームーンにはそれ以上触れずに、テーブルの上になぜかマンガ金正日入門があったので、韓国の発売禁止問題について話しました。

その後いろいろ話しているうちに、海が聞こえるの話になりました。10年以上前の特番アニメがスウェーデンでも普通に話せるということ自体がすごいと思っていました。
「『海が聞こえる』の放送時、僕は中学3年だったよ。なんか高校に憧れを持ったのを覚えている。」とか話すと、
「あれ誰だったけ?、監督。望月〜、えっと望月なんだっけ?。『気まぐれオレンジロード あの日に帰りたい』と同じ人だよ。」という話になりましたが、ついていけませんでした。経済学でもアニメでも分野が違えば、相手のレベルははっきりとは分かりません。しかし、彼らが僕よりも遙か高みにいることは確実でした。彼らはアニメを芸術作品としてとらえていますが、アニメ好きはあくまで娯楽としてとらえています。その差は天と地ほどありました。

 そんな感じで、スウェーデン最高レベルの経済学大学院生とともに、スウェーデン最高レベルのアニメおたくとも交流をして旅は終わりました。日本時間の29日の午前9時10分に成田に帰ってきました。世界は広いと思うとともに、なんか親近感が湧きました。楽しかったというのが率直な感想です。日本に帰ってからも、東大の広報誌淡青に今回のフォーラムについての執筆をしたり、SSEの院生とメールのやりとりをしたりしました。

 今回のフォーラムの感想や改善点を報告する会が、9月15日に開かれました。まだ建設途中の医学部教育研究棟(地図に載っていない)で開催したため、報告会に上がるエレベーターでは小宮山副学長と建物の分かりにくさについての話をしました。(その後の9月27日の総長選挙で、小宮山副学長が次期総長に決まったようです。)
 報告会では急に経済学研究科の報告者に指名されて、佐々木総長に経済学フォーラムや交流の内容や改善点を報告しました。報告会終了後に経済の院生グループで、工学部二号館内の松本楼で昼食をとり、僕のUTフォーラム2004は終了しました。