無情なり、無常 (2003年12月1日)

 なんだかんだで、12月になっています。そろそろ街はクリスマスムードで、年賀状も書かなければと思います。振り返ってみると11月は色々ありました。色々あったことのせいにしてあんまり本業が進展していません(゚0゚")。今回はその本業があんまり進んでいない言い訳を綴ります。最近、誰のためにこの駄文を書いているのか?を自問する。自分の愚痴や記念の意味合いが強くなってきました。

【11月上旬の言い訳】

 姫路高校の山岳部仲間であった廣田(ひろた)君の結婚式が11月2日に行われました。その結婚式に出席すべく10月31日の夜行バスに乗って帰郷する。11月1日の午前7時頃にJR大阪駅に到着しました。当初は、そのまま大阪駅〜姫路駅へ電車に乗って直行するつもりでしたが、朝の早い時間は新快速が走っていない。新快速だと大阪から8駅で姫路ですが、快速に乗ると倍以上の駅に停車します。午前中に帰ったとしても、家でまったりするだけで特に予定はない。そこでふと「(関学の時に所属していた)点訳サークルは、生きているだろうか?」という、かつての疑問を思い出し関西学院大学に寄ることにしました。
 阪急電車に乗って甲東園に着き、坂を登って関西学院大学に到着しました。関学はちょうど新月祭という学園祭の最中でした。中央芝生付近の景観や学園祭の雰囲気はほとんど変わっていませんでした。サークルの部屋がある学生会館へ行きました。
 ○○部ではないサークルの部屋は、ほとんど合同部室になっています。点訳サークルの部屋は全関映というちょっと怪しげ自主映画サークルと相部屋になっています。僕が関学生だった頃から、いつの間にか全関映の撮影道具や演出道具が点訳サークルの敷地に置いてあることがありました。ボランティア系のサークル員って、真面目で気弱な人が多いので、ゆっくりと確実に点訳サークルの領地が狭まっていってました。全関映の人は見た目はアウトローっぽくとも話せばいい人なので、何回か「荷物を置かないでくれ、どけてくれ」と全関映の人に交渉して片づけてもらい、点訳サークルのスペースが維持していました。しかし今回、合同部室に行くと、点訳サークルのスペースの半分に全関映の機材が置かれていた。しかも残った半分のスペースには、活動している雰囲気がない。

 『点訳サークル、なくなったかも』と思い、学生会館事務室に確かめに行きました。

「OBなんですけど点訳サークルって、今でも生きてますか?」
と尋ねると
「人数はそんなに多くないけど、生きているみたいです。とりあえず登録はされています。」
という回答を頂きました。一応、生きているらしいということ確認して、当初の目的は達成される。事務室に置いてあった新月祭のパンフレットをもらう。新月祭のパンフレットをパラパラと見ていると、点訳サークルがD号館でフリーマーケットをやっているということが発覚する。
『なんだぁ、ちゃんと生きているじゃないか』
と思い、D号館へ行ってみる。
 最初は、部外者のふりをして入ろうと思っていた。しかし入るなり、僕が(大阪大の)4回生だった頃に1回生だった人から、声をかけられる。よく覚えているなぁと感心しつつも、点訳サークルの存亡について聞いてみる。要約すると
『かろうじて生きているが、死にそう』らしい。けっこう部費が残っているはずだから、遺産はどうするのかな?と思いつつ、サークルのノートを見てみる。僕の一つ二つ下の後輩が、色々悩んだりしつつも、とりあえず就職してがんばっていることが分かり、良かった良かったという感じでした。(杉山君、結婚おめでとう。立派な神主になってください。おめでとう。
 5,6年前と同じように、部屋に来たお客さんに点字の説明(参照:とほほの点字入門)をしながら2,3時間過ごしてから帰りました。学生の雰囲気は変わらないけど、僕が知っている一回生は既に四回生で、来年度以降は知らない人ばっかりになるのだなぁと無常を感じました。これと同じことが地球規模でもあって、150年後には現在生きている人間は、誰もいないのだなぁということを考えながら、甲東園へと下っていきました。その後、姫路に帰ってから母親の実家で柿をとる。

 11月2日は、帰郷の主目的だった廣田(ひろた)君の結婚式に出席しました。そこで山岳部の懐かしい面々と会い、結婚式、披露宴、喫茶店待ち、二次会、三次会へと出席しました。高桑先生および山岳部員も相変わらずでした。廣田君は、結婚式のスタイルも、締めの言葉も彼らしいなぁと思いました。おめでとう。
 井上の『本当のような嘘』にはコロッと騙され、『嘘のような本当』には、涙が出てきそうでした。あーさんの漫言放語ぶりも相変わらずでした。出雲君は眼鏡のみ変わっていました。高桑先生は相変わらず濃ゆいなぁと思いました。変わりゆくものがある反面、相変わらず変わらないものもあるなぁと思いました。
「姫高の学年同窓会も、やんなきゃなぁ」(と大きめに書いておく)
みたいな話もしました。

 11月3日は、朝からミクロ経済政策演習の発表に備えて、この本の第4章を読んで、「むむむぅ」って感じで過ぎてきました。その晩に大阪に行き、小川君と合流しました。明石焼きを食べてから、無駄に長くコピー機の捜索をした後、宮崎地鶏炭火焼 車梅田店にて飲みました。
 店員のお姉さんが、
「うちの店は、よく利用されるのですか?
と尋ねてきました。宮崎県出身で郷土愛の強い小川君は
蛍池店には、けっこう行きます。」
と答えました。僕は、適当にお茶を濁すべく
「普段、東京なので・・」

と答えると、
「東京にも、出店しているのですよ。」
ときり返されました。
『普段、埼玉なので・・』と答えておくのが正解でした。
 しばらく二人で飲んでいると、店員さんが店のパンフレットを持って再び登場しました。
「先日、銀座にも出店したので、また是非行ってみてください。」
と言われました。帰るときに再び声をかけられ尚も勧められました。あまりに商売熱心な方だったので、また機会があれば、銀座店にでも行ってみようと思います。しかし、銀座といえば、あの因縁の地です。その後、夜行バスに乗って東京に帰りました。11月4日の午前8時頃、下宿に到着しました。

 11月5日(水)は午前の授業で、これからはNEETがキーワードらしく[My NEET for you]の作成を申し渡される。しかし、いつものことながら、どこまで本気か分からない(⇒どうやら、本当に作るらしいことが、後日発覚。なにか考えなくては)。 午後の授業では、超短期マンションと旅館業の識別問題についての情報を仕入れる。夕方7時頃、そろそろ帰ろうと思っていたら、先輩から実証ミクロ系のCOEバイトをやらないか?と相談される。当初、本業に一区切りつけるまでバイト系は避けておく予定だったのでCOEのRAには申し込んでいなかった。しかし成り行き上、先生にメールを出して、お話を伺ってみることになる。 

11月6日(木)は、午後の授業とマクロワークショップに出席しました。ワークショップの発表者は、大阪大学の三回生の時に、マクロ経済学を教えてもらった先生でした。

 11月7日(金)は、昼休みの自治委員会で自治委員長代行(任期11月22日〜)に立候補させられして、承認されました。自治委員長代行の後、引き続き自治委員長(任期2003年1月〜)になるみたいです。自治委員会の後に残って、前自治委員長と前々自治委員長から、引継ぎをしてもらいました。大学院掛にで挨拶をして、禁煙&郵便物の交渉と相談を行いました。
 どうやら赤門総合研究棟と経済学部棟の建物は、教授であっても全館禁煙 となっているようです。分煙にも交渉の余地はないようです。僕は喫煙しないから良いけど、喫煙者喫煙者には、どんどん住みにくい世の中になっています。禁煙になったにしても、通達らしい通達がないので、ちゃんと経済学部の名前でまっとうな通達を出してくださいと要請しておきました。 

そろそろ言い訳が長すぎるので、以下箇条書きです。

【11月中旬の言い訳】

【11月下旬の言い訳】


 今週は公共支出の発表(2回目)もあるし、調査課バイトの自分宿題も完成しないまでも、推定関係の区切りの良いところまで書きたいと思いつつなかなか時間がとれない。

当初、『言い訳をしないように頑張ろう。』風の締めで終わるつもりだったけど、

なんだかんだで、けっこう頑張っているよなぁ  とちょっと、悲しくなってきた(・_・;

しかし、なんだかんだで四捨五入して三十までのこり、23日

ちょっと、洒落にならなくなってきた(゚0゚")。

人生は、確かにいつか終わると感じた。