希望とは (2004年2月29日:2)

 下宿に戻ってから、しばらくはとある個票請求の作成をしていました。「丸ごと個票が欲しい」というのは、できないかもしれないそうなので、一応フォーマットを作りました。CPSみたいに丸ごとデータをくれれば、出す人ももらう人も楽なのに、やっかいなものです。CPSといえば、けっこう重要だと思えるミスを発見したので、1月2日にアメリカのセンサス局メールを送って指摘しました。しかし、その後『お知らせありがとう、さらに助けてくれるなら以下に電話してください』というメールが返ってきただけでした。メールに書いた以上の用件はなく、込み入った内容を国際電話する気になれなかったので、そのままにしておきました。しかしCPS1994のデータ自体は、未だに直っていません。こんなので良いのかなぁ。

 19日には、「人間、何事も体験だ!!」ということで、内視鏡(胃カメラ:厳密には内視鏡と胃カメラは別物らしい)を受けてみることになっていた。内視鏡検査の前日はお昼から消化に良いものを食べなきゃいけないらしい。18日の昼には、せっかくだから高くても美味しいものを食べようということで八田先生から「高いが、値打ちのあるそば日本そば」と教えて頂いた萬盛庵に行ってみる。感想は「高いけど、美味しかった」とそのままです。

 東大病院にはそれまでは行っていなかったので、白い巨塔「財前教授の総回診が始まります。」みたいな雰囲気を期待していたら、そうでもありませんでした。内視鏡の前には、胃を洗浄する薬を飲んだ後、喉の麻酔薬を飲みます。場合によっては、内臓の活動を弱める筋肉注射を打ちます。内視鏡検査自体は5分程度なのですが、けっこうしんどかった。喉には麻酔をしてあるので、ものすごく苦しいということもないのですが、自分の口から消化器へ70cmの管が入っていることを意味している70cmの表記を見て想像するだけで、吐き気がしそうでした。先生の感想は、「かなり健康です。」ということでした。僕の感想は、「人生で1回は体験しときたいものですが、1回でいいや。」ということでした。

 19日の晩には、『失業と雇用創出に関する実証分析(←テーマやシラバスと内容は乖離)』の打ち上げがありました。授業時に先生が、「学生は打ち上げ時には、3000円で良いよ。」とおっしゃっていたが、集合時間に遅れてくるぐらいなので、あまり期待せず本郷を出発する。学生が『銀座が良い〜』との声を出すと、銀座に行くことになりました。銀座のドイツ風居酒屋にて8人くらいで飲む。先生は行きがけの地下鉄の中からハイな状態でしたが、酒の勢いも手伝って周囲の人間の人格を否定しながら、自らの人格を崩壊させていきました。

 先生は「僕は、推定と推計が・・」とか「サンプル数ってのは・・」とか、ぼやいていました。自己批判に飽きると、他人を批判し始め「いつも一人でラーメン食べている。」とか「自分勝手に入試の主任アルバイトになっている。」とか言い始めました。学生が反論しても、ほとんど聞く耳持たず、酒と妄想に酔っていました。こういう39歳COE拠点リーダー候補がいるなら、こういう25歳自治委員長もありかな〜と思えてくるほどでした。

しかし中には、良いこと言いました。先生によると大事なのは希望らしいです。

 そういう先生のありがたいのだか、ありがたくないのだかよく分からない話を聞きながら過ごしました。しかし希望よりも大事なのは、次の事実です。いやむしろ次の事実こそが希望です。

学生に一銭も払わせなかった。

 その勇壮たる姿は、本間先生や跡田先生を彷彿させるほどでした。そして僕は悟ったのです。あの意味不明な言動や暴言は、全て大先生が

希望とは、いかなるものか?

を学生に教えるためであったのです。

希望が夢とは違うのは、そこに現実味があるということ。
hope には現実味はあるが、dreamやwishにはない。
大先生は、あえて自分を崩壊させることで、
自分のいる場所はさほど、遠くない。皆も希望を持て。
というメッセージを送っていたのに違いありません。大先生がぽぽろじーとおっしゃった時に気づくべきでした。まだまだ僕は未熟でした。

一軒目のお店を出て帰ろうとしていると、また大先生は
「税金から給料もらっている奴らには、二軒目はおごってやんない。でも私立大学の人たちはおごってやるので、二軒目に一緒に行きましょう。」とおっしゃった。この希望のメッセージを感じ取る前の僕であったなら、

『なんて理不尽な人だ。自分も税金から給料をもらっているじゃないか!』
と思ってしまったでしょう。しかし、大先生の熱いメッセージを受け取った僕たちは、

希望を胸に、熱い涙をこらえて帰路につきました。

2月は逃げる(2004年2月29日:3)